
「幻の村へ」
「幻の村」等と言ったら、かなり大袈裟かもしれません。
まぁ、大体「アルメニア共和国」自体が秘境のような国ですからねー。
アルメニアという国に興味の無い人にとっては、全くどうでもよい話なのですが、
今日は最高に興奮してしまいました。今でも信じられないくらいです。
初めてアルメニアに来て、「アッシリア人」のみが住んでいる町を見せて貰った時は
腰を抜かすほど驚きました。
何故って、大体「アッシリア人」なんてとっくの昔に「絶滅」した民族だと
勝手に思っていたからです。(非常に失礼!)
高校の世界史でチョロッと聞いた事があると言う程度で、殆どの人が
そんな民族が居た(今でも居るッ!)という事すら知らないでしょう。
まぁ、外見は殆どアルメニア人と区別がつきませんでしたが、、、
でも、アルメニアに来ただけでビックリしていたのに「アッシリア人」に会って
話をした時はもっともっとビックリしてしまいました。
流石!世界の秘境「アルメニア共和国」!信じられない事実がそこかしこにある所は
素晴らしい!。本当にこの国は住めば住むほど「不思議」が増してくるのです。
そして、この国の「古くて奥深い歴史」に驚嘆せずにはいられないのです。
この国に居ると、それこそ「不思議な人種」に沢山出会う事が出来るのですが、
アルメニアに来てとにかくその「存在自体」が非常にミステリアスで、
常に気になっていた民族が「マラカーニ」と呼ばれる人達です。
イェレヴァンを歩いていると、時たま見かけるのですが
男女ともとにかく外見に特徴があるので、見る度に
「彼等はどんな人達なのだろう?」と思っていました。
なので、いつもいつも彼等の事が気になってしょうがありませんでした。
時々、ティグラン・メッツの商店街の近くでマラカンカの「母娘」が
キャベツの千切りみたいなのを売っているのを見掛けるので、
「買って、少しでも話し掛けてお友達になれないかなぁ」と思うのですが、
どうしても旧ソヴィエト圏では考えられないような清々しい笑顔で「スパシーバ」と
言われてしまうので、逆に照れてしまって何時も何も言えません。
「アルメニアに居るガイジン」の所でも少し書きましたが、
彼等はハッキリ言って「ロシア人」です。
が、マラカーニではないアルメニア在住のロシア人曰く
所謂、「彼等は正教徒ではない」のだそうです。
キリスト教ではあるのですが、女帝・エカテリーナが時の権力者だった頃に
祖国・ロシアから追放されてアルメニアにやって来た末裔達なのです。
(と、その当時はアルメニア人から教わった)
何でロシアから追放されたかは後述します。
話だけなので、実はあまり詳しい事を知りませんでした。
まず、外見ですが男性は物凄いヒゲを生やしていて、女性は
必ずスカートを穿いてて、尚且つスカーフを被っています。(例外アリ!後述します)
とにかく、アルメニアの社会の中では非常に目立ちます。
ある人の話で「ゴリスの近くにマラカーニだけが住む街がある」と聞いていました。
いつも遠距離を走る時は必ずお願いしている「アショット」さんにその事(マラカーニの事)
を聞いてみたら、「それは違うと思う、北の方にマラカーニだけが住んでいる街があると
聞いた事があるけれど、何処にあるのか?今でも済んでいるのかは分からない」との事でした。
アショットさんは親切にも何人もの知り合いに「マラカーニだけが住んでいる町の事をしらないか?」
と聞いてくれたそうです。が、殆どの人が「やはり、、、」というか知らなかったそうで、、、
実際、マラカーニはアルメニア人と話はするのだけれど、必要以上に話に突っ込んできたりしないし、
仕事はマジメにするのだけど、必要以上にアルメニア人との親交を持とうとしないらしいので、
アルメニア人にとっても彼等はとっても不思議な「謎の民族」なのだそうです。
ただ、「誰に聞いても、彼等はマジメで仕事熱心で、誰に対しても親切で誠実だ」と
言っていたそうです。およそ、「ロシア人らしくないロシア人(!?)」なので興味はつのるばかり。
しかし、ついにアショットさんが断片的な情報をゲットしてくれました。
「確実な情報ではないケド、多分セヴァンの近くじゃないかと思う」との事。
どうしても彼等の事が知りたくって、今日は土曜日だしココは一つ「マラカーニ」だけが住む
「幻の町」を探してみようと思ったのが吉日ッ!
幸いイェレヴァンは快晴だったので、早速「アショット」さんに電話をして
アルメニア北部の町へと向かいました。
アルメニアに関する情報は当たり前ですが「アルメニア及びアルメニア人」にのみ
スポットを当てられたものばかりです。日本語の新聞、本、ホームページを見ても
「マラカーニ」の「マ」の字も出てきません。
英語で書かれているホームページ等を閲覧していてもやはり「マラカーニ」に関する情報は
皆無です。ロシア語の歴史書やザカフカスを紹介するロシア語ホームページにはもしかしたら
出ているかもしれないですが、その時は丸っきりロシア語が読めませんでした。
(註:後日、英語のマラカーニのスペルが「MOLOKAN」である事が判明!幾つかサイトを発見した。)
今回はかなり写真が重たいかもしれないです。どうか勘弁をッ!!!
さて11時頃、アショットさんと一緒に早速北の方に向かいました。
とりあえずセヴァンまで行って「情報を集めよう!」という、なんとも「行き当たりバッタリ」で
心元無い情報収集方法ですが、他に追加情報もなかったのだからやむを得ないですね。
でも、その時は「マラカーニ達が住む村を見つけるまで今日は帰らないゾ!」と
固く心に誓ったのでした!(アショットさん、ゴメンなさいネ、、、)
さて、下の写真はセヴァンに行く途中に撮った山の写真等です。

イェレヴァンを抜けたら急に寒くなりました。

まだまだ山の麓まで雪が残っていますね。
普通のアルメニア人ドライバーであれば何処にいつも警察が待機しているか知っています。
警察の検問所では思いっきりスピードを落とすのですが、それ以外の道ではひたすら全速力!
穴ボコだらけの悪路にも関わらず、スピードをとにかく出す事!出す事!
何度か突き上げがキッツクて天井に頭をブツけそうになりました。
ヒヤヒヤと何度も肝を冷やしましたが、アルメニア人の運転は皆こんな感じ。
その猛スピードのお陰でイェレヴァン中心部から30分ほどでセヴァンに到着!
今回は早かったなぁ、、、アッという間だったなぁ、、、

セヴァンに到着!夏とは随分と雰囲気が違いますね。
セヴァンには何度も来ているのですが、この時期に来たのは初めてです。
夏の日差しが眩しい、「美しいセヴァン」とは雰囲気がガラリと変わって
少し寂しい感じの「黄昏た古い街」という感じでした。
ですが、「セヴァン」が今回の目的地ではないので写真を数枚撮ってパス!
早速、通行人に「マラカーニの皆さんは何処に住んでいますか?」と聞こうと思いきや、
寒いのに加えて、天気が急に悪くなってきたものだから、人っ子一人居ません。

ウーン、セヴァン湖が普通の川みたいに見えたのは初めてだッ!

下方に写っている廃墟はトイレでしょうか?

向こう岸は多分「Shorzha」だと思う。

この先に、新しい感じのホテルが出来ていました。
正直言ってセヴァン湖がこんなに、、、言葉が悪いのですが普通の「川」みたいに見えたのは
初めてでした。夏は海面に青空が映し出されて、それはそれは美しいのですが、、、
因みにココでの手がかりはゼロ。というか誰も歩いていなかったです。
仕方なく、北の方に向けてとにかく走る事に、、、

セヴァンを抜けた所で見つけた小さな町。
ディリジャンの手前の村には人が沢山居ました。セヴァン湖に近いからか
「魚は要らんかねぇー?」と車を見つけるや声を掛けてきます。
チェスをやっている集団に声を掛けて聞いてみた所、
「昔は、ディリジャン付近に沢山いたがねぇ、、、今は、分からない。
でも、今でも少しは住んでいると思う。」
と、何とも心許ない答え。
もうチョット北の方か?と聞くと「とりあえず行ってみると良いと思う」との事。
行くしかないので、ひたすらイジェヴァン方面に向かう事にする。
しかし、この辺りに建っている家がまたスッゴイ!失礼な話ボロボロッ!
で、ただ単にボロボロなだけではなくて斜めに傾いていたり、壁が崩れ落ちていたりと
凄まじい按配です。アルメニア人は基本的に家のメインテナンスなんてしませんからね。
ピカソ的な芸術点を狙ってワザと家を斜めに建てた、窓を歪めて取り付けたというのであれば
納得は出来ないのですが、まぁ認めない事もないです。
因みに僕のアパートの窓も何故か歪んでいます。日本人として非常に気になります。
ですが、その歪んだ窓のせいで冬は隙間風が入りたい放題に入って来るので
やはり、「手抜き」である!というのが僕の結論です。
窓があるべき所に、ビニールシートが被せてあったりするのは幾ら考えても
理由が思い浮かびません。寒いからか?隙間風が入ってくるからか?
ならば最初からしっかりと隙間風が入ってこないようにキチンと作れば良いのに、、、
それとも、ワザと歪めるのが伝統なのでしょうか?それともキリストの教えでしょうか?

僕には廃墟にしか見えないのですが、、、(失礼。)

窓にビニールシートを被せているのは何故かな?

この微妙なバランスで崩れない所がアルメニア人の才能なのでしょうか?
更に北へと向かった所で、またまた村を見付けました。
この辺は丸っきり泥道で、車がズルッと滑る度にヒヤヒヤしたものですが、
ここで通りすがりの人から重要な情報をキャッチ!
「今はこの村にマラカーニは一人も居ない。ケド、昔は住んでいたよ。
ホラ、あそこに見える白い家があるでしょう?アソコに住んでいたよ。
(動物園の檻に取り付けるような巨大な南京錠でロックされていた。)
何処に行ったかって?知らない。マラカーニが住んでいる町?
さぁ、、、でもディリジャンには間違い無く住んでいるよ。
イェレヴァンにも居るし、、、え?君はイェレヴァンに住んでるの?
何でイェレヴァンで聞かなかったのさ?ところで君は何人だ?
え?日本人!あらまー、日本人が何でまたマラカーニの事を知りたいのかね?
もしかしてジャーナリストか?違う。フーン、変わった人だねぇ、、、」
娯楽が無い田舎町のせいか、とにかく「珍しいものを見付けたッ!」といわんばかりの
質問攻撃ッ!とにかく、話す事、話す事。
しかし、とにかくディリジャンには沢山住んでいるらしい事は分かったので、
そのままディリジャンに直行する。

こういう寂れた雰囲気はとても好きなのですが、、、

ココにマラカーニの家族が住んでいたらしい、、、残念。

ちゃんと人が住んでいるんですよッ!
この村を抜けてディリジャンに向かう途中、箱根の「ターンパイク」を思い出させるような
ウネウネとした道になってしまいました。
あぁ、思い出した。この道はいつか来た道。初めてアルメニアに来た時もココを
通ったんだった。という事は、さっき通り過ぎた町も全部見たんだ。
山がちな国だから、このウネウネとした道は仕方が無いのですが
箱根と違ってこの辺の道路はまるで「罠」でも仕掛けてあるかのように
穴ボコがボコボコと容赦無く開いてます。
曲がりきった所に、穴がボコン。そしてまたボコン。
対抗車線(実際はそんな線なんて見えない)から車が来ると
更にヒヤヒヤします。
「この先にトイレがあるから、少し休憩して行こう。」と言われてトイレに行く事に。
流石に耳が痛くなってきた。ウーン、この国はやはり標高が高い国なのだと実感。
そして、早速トイレに行くと、、、
旧ソヴィエト圏のトイレは何処もかしこも凄まじいのは良ーく知っています。
どう凄まじいかは書きませんが、凄まじいクセに有料だったりします。
「そんな公衆トイレを使うくらいなら、外でした方がマシ!」と思っているのか、
ウクライナでもロシアでも所謂「立ちション」をしている光景はしょっちゅう見掛けました。
実際、オデッサのバス停の有料トイレは余りの大迫力に怖じ気づいてしまって、
尿意が忘却の彼方にスッ飛んでしまったホドでした。
あぁ、思い出すのもシンドイ、、、
が、今回それを更に2段階も3段階も上回る凄まじいトイレに遭遇してしまいました。
まず、トイレがある場所まで、、、というかトイレがある所まで何故か「異質な物体」が
そこかしこに落ちています。コレで殆ど戦意喪失。
気力を振り絞って、なんとかトイレまで辿り着くと、、、
もはやソコには「地獄の一場面」とでもいうべきおぞましい光景が目に入ってきました。
「コレで万が一、滑ったり転んだりしたら、、、」と思うと死ぬ事以上に恐ろしいです。
トイレで用は足したいのですが、とても足す勇気も無い、、、
というか一生涯目に焼き付いて、時々「フッ」とした瞬間に思い出しそうでとってもイヤだ!
JRのトイレは「臭くてイヤだなぁ、、、」と東京に住んでいる時はいつも思ったのですが、
比較の対象にもならないです。というか、コレは論外だし、反則じゃないか?
恥ずかしながら、正直に言うとその場では用を足しませんでした。
っていうか、見るんじゃなかった、、、尿意もショックのあまり消えてしまいました。
アレを見て、シャシリクを食べれる人は本当に大したものだと思う。あらゆる意味で、、、
僕は今でも食欲が無いです。

シャシリク屋らしいです。が、閉まっていました。

水が勿体無い、、、と思うのは僕だけか?
さて、ディリジャンに到着。
道路も非常にまとも(?)です。街灯もありました。夜になっても点かない方に100ドラム!ですが、、、
建物も、さっきまでみた村の家等とは明らかに違ってまぁまぁマトモです。
因みに線路も見えました。アショットさんの話だと「トビリシ行き」の線路だそうです。
思ったのですが、こんな田舎でも女性は服装が物凄くちゃんとしているのには驚きました。
ビシーッとアイロンをかけたシャツで、上から下までとても清潔な感じでキレイです。
んでもって、またもや通りすがりの人に恥じも外聞も無く質問。
ワシ:「スミマセン、マラカーニの方々はこの辺に住んでいますか?」
通行人:「???(質問の内容がよく分かっていない様子)」
ワシ:「ゴメンなさい。実は僕はマラカーニの人達の事を知りたいのです。
北に方に住んでいると聞いたので、イェレヴァンから遥々やって来ました。」
通行人:「カリーニンの方に多分、、、」
何人かの通りすがりの人に聞いても、「カリーニンに行けば多分居る」というので
向かう事に。しかし、つくづく僕はココでは「ガイジン」なのだと改めて認識。

街灯の左側には「トビリシ行き」の線路がありました。

奥地に着いた途端に、まともになったのでビックリ!!!

「ダーチャ」っぽい建物も沢山見掛けたのですが、、、
そして、カリーニンに到着。
あぁ、「デジャブー」だろうか?ずっと昔に見た事があるような、、、
千葉の田舎道を車で走っていた時に、ココに似たような光景を見た事が有るような、無いような、、、
確かにイェレヴァンと比べても田舎ですが、何処か哀愁が漂う「渇いた町」という感じでした。

建物も非常にしっかりしている感じ。

このお店でコーラとタバコを買いました。

チューリップ畑。奥に見える建物は学校。
フラフラと車で走っている内に、学校を発見。
もしかしたら学校の子が知っているかもしれないと思い、早速ソコを歩いている男の子に質問。
ワシ:「アノー、質問してもよいですか?この辺にマラカーニの方は住んでいませんでしょうか?」
少年:「僕がマラカンだよ。」
ワシ:「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
あぁ、、、ついに、、、ついにというか、、、やっとマラカーニに会えた!
イヤ、正確にはイェレヴァンでも見掛けてはいたのだが、、、
でも、返ってきた答えが余りにも唐突で思いがけないものだったのでビックリした!
この時は、本当にアドレナリンが高くなるのを感じました。メッチャ興奮したッ!
ワシ:「(怪しまれないように)この辺にマラカーニだけが住んでいる村ってありますか?」
少年:「ウーン、あるけど説明出来ない。僕のおばあちゃんに聞いて下さい。」
ワシ:「君のおばあさんに会っても良いの?平気ですか?」
少年:「勿論。」
少年を車に乗せて、彼の家まで連れて行って貰いました。
したら、明らかに「ロシア系」と分かるキレイな女の子がチョコンと出て来て、
僕の方を「ジーッ」と見ています。吸い込まれるようなブルーの瞳でした。
少年に連れられて、アショットさんと一緒に家の中に案内されました。
少年は何やら、おばあさんらしき人と話すと分かってくれたみたいで
「ようこそ、どうぞお上がり下さい」と言って下さるではありませんかッ!!!
ウゥ、嬉しい、、、正直言って不審者と見なされて追い返されるかと思っていたのに、、、
どうしてマラカーニの人、マラカーニの村を探しているかを話したら分かってくれて、
「今日は私達のイースター(復活祭)なんですよ。客人が見えるとは思っていなかったのですが、、、
しかも、異国の人がみえるなんてねぇ。とても嬉しいです。どうぞ、何でも質問して下さい。」
と言って下さいました。
彼女の名前は「リューボフ」さん。正真正銘の「マラカンカ」だそうです。
僕を案内してくれた男の子も、玄関で見かけた女の子も彼女のお孫さんだそうです。
(因みにホームページの写真掲載許可は本人から頂きました。
インターネットというものと、ホームページというものを理解して貰うのが大変でしたが、、、)

マラカンカのリューボフさん。沢山の質問に丁寧に答えてくれました。
ワシ:「まず、マラカーニとはどのような人を指すのか?という事と歴史について聞きたいのですが。」
リューボフ:「マラカン(男性)は結婚したら男は必ずヒゲを生やします。
コレは「イエス」がヒゲを生やしていたからです(あー!それでヒゲを生やしているのか!)。
結婚していない男性はヒゲを剃っても構いません。
そして、常に腰に「ポーイェス(ベルトとか紐のような物)」着けています。
マラカンカ(女性)は見ての通り、必ず頭に布を被ります。
結婚していない女性は常に着用していなくても平気です。
ですが、集会等がある時は未婚の女性でも着用しなくてはなりません。
女性はファールトゥックという生地の薄いエプロン(のような物)を身に着けます。
で、歴史ですが1830年に私達はロシア正教の受け入れを拒否したために皇帝ニコライ
(実はココの所が良く聞き取れなかった。)によって、タンボフの地から追放されたのです。」
ワシ:「え?エカテリーナではないのですか?」
リューボフ:「ニコライとアレクサンドルの二人にです。」
ハテ?アルメニア人からは「女帝・エカテリーナ」に追放されたと聞いたのですが?
ワシ:「何故、アナタ方は「マラカーニ」と呼ばれるのでしょうか?」
リューボフ:「私達は豚肉を食べる事が出来ません。これは私達の宗派の戒律です。
で、マラカーニは昔から毎週火曜日と金曜日にマラコー(ロシア語で「牛乳」の事)を
飲んでいました。今でもそうです。それは肉を食べないで済むように。
マラコーばかり飲んでいたので、当時のロシア人が私達の事を「マラカーニ」と
呼ぶようになったのです」
コレを聞いた時は目から鱗が百枚くらい落ちました、、、
ハァーッッッ、、、まさか「マラカーニ」の名前の由来が「マラコー」から来ているなんて
想像もつかなかった、、、あぁ、彼等、そして彼女等は本当に歴史の「生き証人」なんだ、、、
そう思うと、何やら彼女等からは崇高な「オーラ」のようなものすら感じてしまう。
彼女の話だと、マラカーニはマラコー(牛乳)ばかり飲んでいるので、普通のロシア人よりも
肌の色が白いのだそうです。確かにさっき見かけた女の子も、男の子も白かったなぁ、、、
ワシ:「イコンに向かってお祈りをしないというのは本当でしょうか?」
リューボフ:「はい、しないです。私達マラカーニ(ロシアや他の国に住むマラカーニ全て)は
イエスが復活する事を信じています。私達の身の上に何か良い事があると、
それは私達の魂にイエス様が降臨された、と感じるワケです。
イコンではなくて、私達は白いタオルにお祈りをするのです。
マラカーニの家には必ず白いタオルが高い所に飾られています。」

コレが白いタオル、、、というか布。
ワシ:「どうしてアルメニアだったのでしょうか?他のザカフカスの地域ではなくて。
グルジア生まれのアルメニア人の友達が「グルジアには全くマラカーニは居なかった」と
言っていたのですが、何故その当時はアルメニアだけだったのでしょうか?」
リューボフ:「今でも殆どのマラカーニはアルメニアに居ます。
ですが、ロシアにもアメリカにも居ますよ。多分、ヨーロッパにも。
今から200年前に移民し始めたのですが、その時私達を親切に迎えてくれたのが
アルメニアだけだったんです。アルメニア人は親切でしょう?(ウン???)
グルジアとかアゼルバイジャン、北コーカサスは当時から争い事が絶えなかったので
行き着いた所が結局アルメニアだったというワケです。」
きっと、昔のアルメニア人はとても優しかったのでしょう。
ソヴィエト時代ともまた違ったアルメニア人が200年前には居たのでしょう。
ワシ:「時々、イェレヴァンでマラカンカの女性がキャベツを細かく刻んだものを
売っているのですが、アレは何でしょうか?」
リューボフ:「アレは、「マラカンスカヤ・カポースタ」と言います。
私達の常用食なんですよ。ロシア人はホラ、ボルシチにもキャベツを入れるでしょう?
ロシア人の好きな野菜といえば、やはり「ジャガイモ」と「キャベツ」なんです。」
ワシ:「あの、ところで今日が(復活祭)なのですか?
アルメニア正教ともロシア正教とも違う日ですね。」
リューボフ:「はい、なのでパンケーキを作りました。どうぞ食べて下さい。」
何処の馬の骨とも知れない「ガイジン」をこんなにも親切にもてなしてくれるなんて、、、
そういえば、ステパナケルトに行った時もマラカンのおっちゃんにとても親切に
されたよなぁ、、、モスクワの荒れ狂った極右のロシア人もロシア人だけど、
マラカーニの方々もロシア人なんだよなぁ、、、
なんか、決して豊かではなさそうだけど潔癖で美しいと感じてしまう。
因みに、彼等の「復活祭」はこれから1週間、毎日行われるそうです。

リューボフさんのお姉さん、耳が聞こえないそうです、、、
ワシ:「あの、因みにマラカーニは全てココ「ディリジャン」に住んでいるのでしょうか?」
リューボフ:「(少し考えてから)ココにも沢山住んでいます。ですが、以前ほど多くはありません。
この先を20キロほど行った所にマラカーニだけが住んでいる村がありますよ。(!!!)
ココでは多分、アルメニア人とマラカーニの割合は4対1くらいでしょうか?
まぁ、数はイェレヴァンと同じくらい住んでいますケドね。」
ワシ:「マラカーニだけですかッッッ?ど、何処にその村があるのでしょうか???
僕みたいは「ガイジン」でも行けるのでしょうか???」
リューボフ:「ココからヴァナゾールの方に抜けていく途中にあります。
村の名前は(フィアレータヴァ:ロシア語で紫色の意味)と言います。
勿論、アナタでも行く事は出来ますよ。」
ワシ:「そこは、丸っきりマラカーニだけが住んでいるのですか?」
リューボフ:「そうです。マラカーニだけが住んでいます。とても小さな村です」
あぁ、ついに、、、「幻の村」の場所を突き止める事が出来たッッッ!!!
行き当たりばったりに探していたのに本当に見付かるだなんて、、、
一体どんな村なんだろう?もぅワクワクするッッッ!!!!!
沢山、沢山!本当に彼女には感謝しきれないです。お礼の言いようも無い。
場所を詳しく聞いて、沢山お礼を言ってリューボフさんの家を後にしました。
「また来て下さいネ」と言って貰えたのは社交辞令だとしても嬉しかった。
「出来たら、撮って頂いた孫達の写真を送って下さい。」
と言われました。ハイ、必ず送ります。
と言うか、近くをまた通ると思うのでその時に必ずお渡します。
地方だから写真を撮っても現像が大変なのだそうです。

ぬかるんだ道もなんのその!西に向かってGO!
で、大きな期待を胸に言われた通りに西へ向かったのですが、、、
正直言って物凄く不安になりました。何も無いのです。
ひたすら砂利だらけの荒涼とした風景が続きます。
鉄道の線路らしき物が横に見えるのですが、本当に何も有りません。
今までは10分おきくらいに大なり小なり村やら町が見えてきたのですが、
ずーっと何にも無いのです。

右手に見えるのが線路。
「本当にこんな場所にマラカーニの方々が住んでいるのだろうか?
と言うよりも、人が住めるのかどうかすら甚だ疑問だ、、、」
と弱気になってしまうほど、辺り一帯は本当に荒涼としています。
ですが、しばらくして道路の端っこの方に石を2、3個積み重ねた何やら「目印」
のようなものが、等間隔でずーっと並べられている事に気が付きました。
「コレは何でしょうねー?」とアショットさんに聞くと
「分からないねー、何だろう」とポツリ。
しばーらく、コンクリートのデコボコ道を走っていると何やら遠くの方に
民家らしきものが見えて来ました。
最初はダーチャかな?と思ったのですが、その瞬間にヒゲを生やした大男と
布を被った女性を見ました。正真正銘の「マラカーニ」の姿を目にしました!
やや!コレがもしかして、、、
オォッ!ついにマラカーニ達が住む村「フィアレータヴァ」を発見ッ!!!
うぅ、、、寒いの我慢して頑張った甲斐があった。とっても嬉しい!

放し飼いの馬、左手が幻の村・フィアレータヴァ

本当に、本当に小さな「村」でした。

アルメニアの平均よりもずっと家がキレイで、整っていました。

とても長閑な「農村」という感じです。
遂に、捜し求めた「マラカーニ達の住む町」を発見しました。
強力にぬかるんだ泥の坂道を下って行くと、、、
明らかにアルメニア人じゃない顔、もっともっとこぅ「薄ーい顔」をした
白い人達が沢山居ました。つまりロシア人です。
まず、最初に目に付いたのが男性です。しかし、彼等は特徴であるヒゲが有りません。
なので、多分未婚者なのでしょう。何やら手招きをしているので行ってみると、
若いマラカン:「ヤヤッ!お前、何人だ???初めて見たゾ!中国人か?」
ワシ:「(聞かれると思った、、、)日本人ですが。」
若いマラカン:「えー?日本人?何だソリャ?(酔っ払っているらしい)」
ワシ:「質問しても良いですか?何でアナタはマラカンなのにヒゲが無いのですか?」
若いマラカン:「俺はまだ若いからだ。」
ワシ:「ハァ?つまり結婚していないと言う事ですね?」
若いマラカン:「そういう事だ」
ワシ:「ところでこの村はマラカンばかりが住んでいるのでしょうか?」
若いマラカン:「そうだよ。何しに来たの?」
ワシ:「マラカーニの人達とはどんな人達か知りたくてイェレヴァンから遥々来ました。
村の中心部はココを真っ直ぐ行けば良いのですか?」
若いマラカン:「そうだ」
まぁ、よっぽど東洋人が珍しかったらしく沢山の人が寄ってくる事、寄ってくる事。
恥ずかしいので、とにかく車を出して貰いました。
すると、本当にマラカーニ達が沢山居ます。というか、「マラカーニ」しか居ません。
あぁ、もうこの瞬間の感動は言葉に出来ないくらいでした。
そしてまた、若いマラカンカの美しい事。聖書から飛び出して来たかのようです。
とにかくキレイな白い肌(牛乳のお陰だとだと言ってたけど、本当だろうか?)の
スカーフを被った美しい女性が道の脇に椅子を並べてチョコンと腰を掛けています。
イェレヴァンで見掛けた時も、その楚々とした美しい姿が特徴的だったのですが、
実際に沢山居るのを見ると、何かこぅ歴史を飛び越えて来たかのような、
それでいながら200年程前から変わらずにそのままのよう不思議な美しさや
ミステリアスな雰囲気を醸し出しています。
が、車が通り過ぎるのを見て、僕の事を見るなり「キョトーン」としていました。
まるで「宇宙人を見たッ!」と言わんばかりの困惑の表情です。
恥ずかしい、、、穴があったら入りたい、、、ってアルメニアは穴だらけなんですけど、、、
「コレは若い人に聞いたらパニックになる」と思って、年配の夫婦を見かけるや否やつかまえて
町の事を聞いてみました。すると、何やら初めて見る東洋人に物凄く興奮してしまったらしく
「ぜ、是非とも家に来なさい。聞きたい事には全部答えてあげよう。その代りに
君の国、日本の事を私達に教えてくれ」
予想しなかった展開に頭は混乱するばかり、、、
よくみたら、そのマラカンの男性は物凄くデッカイ人でした。
物凄いヒゲをたくわえた、僕のイメージする「古ーいロシア人」です。
彼の奥様が、またキレイな方で本当に色が白くて透き通ったブルーの瞳です。
村の中を少し案内して頂いたのですが、本当に小さな村でした。
が、何やらそれこそ「タイムスリップ」したかのような不思議な感覚でした。
その後、家にご招待されたので早速お邪魔する事に、、、
(チョット図々しかったと後になって反省)

フィアレータヴァに到着!ココは村の中心部。
まず、家に入って感じたのは広いのもそうですが壁紙が白い!という事。
アルメニア人の家で、白い壁紙というのは滅多に見た事が無いのでビックリした。
非常にシンプルで部屋の中全体が明るい感じ。
コッチも興味津々なのですが、向こうも何やら初めて見るあやしげな「ガイジン」に
興味津々な様子。スグに僕の名前を覚えてくれました。
彼の名前はミハエルさん。ココで生まれてココで育った生粋の「マラカン」だそうです。
ミハエル:「何でも聞いて欲しい。その為にイェレヴァンからココまで来たんだろうからね。」
ワシ:「(ダブッった質問をしてもよいかどうか迷いながら、、、)
まず何時頃に、どのような理由で皆さんの先祖はタンボフ(ロシア)の地を離れてアルメニアに
住むようになったのでしょうか?」
ミハエル:「1837年に女帝・エカテリーナによって我々の祖先はロシアから追放された。」
コレを聞いた時、やっぱりと思った。実は、僕はあまりロシアの歴史に関しては詳しくない。
リューボフさんは1830年にニコライによって追放された、と言っていたが
恐らくたった1年で全部のマラカーニを追放したワケではなくて、ある程度の長いスパンで
ロシアから追い出した、という事かも知れない。
しかし、時の権力者も全員どうしたワケかマラカーニを嫌ったようですね。
まぁ、時代が時代だから異端である「異教徒」を権力者が物凄く恐れたのも
理解出来なくもないのですが、、、彼等だって「キリスト教徒」なんですけどねぇ。
その後は、大体リューボフさんと同じような事を言っていました。
が、幾つか新しい事実を知れたので、ソレのみをココでは書きます。
まず、マラカーニはマラカーニ以外とは基本的に結婚が出来ないのだそうです。
出来ない事はないのですが、もし異教徒と結婚した場合は彼等の集会や
彼等の教会に行く事を禁じられるらしいです。
(今回は残念ながら、彼等の教会に行く時間が無かったのでまた今度!)
かなり厳しいのですね。丸っきり禁じてしまうなんて、、、
しかし、そう言えばイェレヴァンのホテルで働いている人に
「アメリカに住むマラカンがお嫁さんを探す為にワザワザアルメニアまで来てた!」
という話を聞いた事があります。それくらい重要な事なのですね。
案外世界中に小さなネットワークを持っているのかもしれないですねぇ。
そして、彼等は絶対に十字架を受け入れないそうです。
胸の所で十字を切る事も絶対にしないそうです。
コレは以前から聞いていたので知ってはいたのですが、何でそうなのかは知りませんでした。
しかし、非常に明瞭で思わず「なるほどッ!」と頷いてしまうような答え彼は言ってくれました。
ミハエル:「十字架はイエスを張りつけにして、殺すために使った拷問器具だ。
何で、そんな凶器を崇めなければならない?我々は絶対にしない。」
あー、本当にその通りですねー。言われて初めて気が付きました。
それでロシア人でありながら家に「イコン」が無い事も納得!
彼等と喋っていて気が付いたのですが、全員ロシア語に訛りがあります。
例えば、「シトー・トゥイ・ガバリーシ(何て言ったの?)」が、
「ショー・トィー・ハバリーシ」と発音されていました。
「何故か?」と聞いたら、美しいミハエルさんの娘さん達が笑い転げていました。
因みに既婚男性が必ず身に付けるの「ポーイェス」と女性の「ファールトゥック」を
見せて貰いました。「ポーイェス」はベルトというよりも紐のような物でした。
そして、マラカン(男性)は結婚後は一切酒飲んではいけないし、タバコも吸ってはいけない
らしいです。但し、酒はいくらか例外があるそうです。(宗教行事の時は特例らしい)
コレはロシア人にとって物凄く辛い「禁欲」のようにも思えるのですが、
ミハエルさん曰く「大した事は無いよ」との事。
もはや、200年近くも祖国ロシアから切り離されて生活をしていたワケだから
彼等、彼女等の顔形や名前はロシア的であったとしても、全く別の人種なんですね。

やはり、イコンの換わりに白い布が飾ってありました。

親切にして頂いたマラカンのミハエルさん。

ミハエルさんの奥様。コレはマラカーニだけのパンだそうです。
ワシ:「ココでは学校などはどうなっているのでしょうか?先生もやはりマラカーニですか?」
ミハエル:「8年制のみ、当然大学は無い。大学に行く若い奴等も稀に居る。
イェレヴァンではなくてキロヴァカンの大学に行ってるよ。
因みに教師はアルメニア人だよ。この村に二人だけアルメニア人が住んでいる。
学生数は全学年合わせて220人。教師の給料が余りにも安いからなり手が居ないのだ。
男は学校が終わって数年したら、全員兵役に就く。」
ワシ:「普段使われている言語はやはりロシア語ですよね?」
ミハエル:「勿論。でも、アルメニア語も分かる。学校で勉強をする。英語もやる。」
ワシ:「この村の人口は?」
ミハエル:「1600人」
ワシ:「全員マラカーニですか?」
ミハエル:「アルメニア人の家族も二家族住んでいるよ。」
ワシ:「この村の主な仕事とは何でしょうか?」
ミハエル:「農業と畜産。でも、こんな小さな村では仕事は限られてしまう。
だからイェレヴァンに行って建築作業員とかもしている。(やっぱり!)」
この後、ご家族のご好意で食事、、、というか復活祭に誘って下さいました。
異教徒、、、というか無宗教者なんですけど、本当に良かったのでしょうか?
まぁ、娘さんの可愛い事!本当に天使みたいッ!!!
お母さんに似たんですね。透き通るようなブルーの瞳が印象的でした。
食事の後、村の中を少し歩きました。
が、予想通り何処に行ってもジロジロと見られてしまって堪らなかったです。
随分、沢山の若いマラカーニが居るんだなぁと思いました。

カラフルで美しい「イースター・エッグ」
アショットさんと話した結果、「あんまり遅くなると帰りの道は真っ暗で危なくなる」という事で、
この日は心残りだったのですが、帰る事にしました。
ミハエルさんも、奥様も「また、いらっしゃい」と言ってくれました。
まだまだ、質問したい事が沢山有るので、図々しくも言葉に甘えさせて貰おうと思っています。
今度は何かお土産を沢山持って、、、ってどんなお土産なら喜ばれるんだろう?
お酒もタバコもダメでって、、、
しかし久々に、本当に久々にエキサイティングな日でした。
また行きたい、、、