
「激戦地のその後」
実は、どことなくインターネットを見ていたら「カラバフのヴィザシールがパスポートに
貼ってあると他のCIS諸国に行けなくなる」という記事を読んだのですが、本当でしょうか?
そう言われてみれば、国境(?)というか検問所のような所で係官に「パスポートにシールを貼るか?
それとも貼らないでおくか?」と聞かれたような気もします。
その時は、「(自称)共和国なのに変な事を聞くもんだなぁ、、、」と思ったくらいで
何も知らなかったのでシールを貼って貰いました。
今の所、この「ヴィザシールが元でとんでもない問題が起こったッ!」という事はないのですが、
将来的には何か問題になる可能性があるのでしょうか?(多分、無いと思うのですが、、、)
まぁ、アゼルバイジャンに行けない事は知っています。別に行きたいとも思わないのですが、、、
何でも、カラバフのヴィザを見付けられると即座に「ブタ箱」にブチ込まれるらしいですね。
あー、コワコワ!そんな時は、一応在アゼルバイジャンの日本大使館が動いてくれるのでしょうか?
そして、ココはナゴルノ・カラバフ戦争の激戦地だったそうです。
本当は入っちゃいけなかったらしいのですが、現地で知り合った人に行ける所まで車で走って貰い、
その後はテクテクと歩いて見て回りました。(良い子は真似してはイケマセン!)
って言うか、良かったのかなぁ、、、?廃墟の中に2家族ほど住んでいるのを発見した時は
ビックリしたけど、彼らも何やら「変なのが歩いているッ!」とビックリして、しきりに
何やらアルメニア語で当時喋ってましたけど、、、多分「ダメ!」と言っていたような気がする。
しかし、戦争の激しさを実感して窺い知れる場所でした。
100%建物は完膚なきまでに破壊されていました。恐らくつい最近の「ボスニア」や「コソボ」も
きっとこんな感じなのでしょう。(現地の友達の話だとまだこの地域は危険地帯で復興が難しいとの事)
しかし、、、一応、アルメニアは領土の奪取に成功したワケだから戦争に「勝利」したと
言えるのかもしれないのですが、、、復興の道は遠い彼方にあるような気がします。
カラバフに居る友達の話によると「今でも散発的な銃撃戦はある」との事でした。
アルメニアはアゼルバイジャンみたいに「オイルマネー」があるワケでもないし、
早めにカウンターをうたないと、アッというまに劣勢に追いやられる危険があるのかもしれませんね。
しかも、左隣にはアゼリー人と民族的には一緒だという大国「トルコ」が控えているし、
ナヒチェヴァンの様子も常に窺わなければならないし、、、
そのナヒチェヴァンだって、元々はアルメニア領だったのにスターリンに勝手に
アゼルバイジャンの「飛び地」にされてしまうし、、、本当に歴史が味方をしてくれない国ですね。
そして、今現在カラバフ全土には20万人ほどのアルメニア人が厳しいながらも生活をしているのです。
一応「友好国」となっているロシアもアメリカとの距離を考えた「アフガン問題」や「チェチェン問題」で
手一杯なようだし、今この国が頼れるのは在外のアルメニア人達の寄付だけなのです。
僕はこれらの写真をホームページ訪問者の人に見てもらって「平和な日本で暮らす事について何か感じて欲しい」
等と、説教ぶった事を言うつもりは全く無いです。大きなお世話ですよね、本当に。
あくまでも、アルメニア人達の住む地域の隅々を皆さんにお見せしたいだけです。
そう、アルメニア人が住むこの「ナゴルノ・カラバフ共和国」は今でも戦時下ににあり、
非常事態とは言わないまでも、決して安心して暮らせる地域ではないのです。
また、今年の夏に行ってみるつもりです。
今年は、北コーカサスの様々な地域に行ってみようと思っているのですが
「チェチェン」だけはヤメておきます。実際、今でも戦争してるし、、、
でも、友達はヴラジカフカスに住んでいるのですが、「普通だよ。アルメニアと変わらない」と
言っていました。どうもコッチの人の話ってイマイチ信用出来ない、、、
この前も、祝日に爆弾テロがあったってニュースで言ったいたしなぁ、、、
「ホテルもある、水も出る、食べ物もちゃんとあるし、町並みはイェレヴァンよりもスッキリしていて
キレイなくらいだよ」と言ってました。誰か行った事がある人は情報下さい。
あ、なんか「激戦地」と関係の無い事をツラツラと書いてしまいましたね。スミマセン。





























