
「グルジアB グルジア人とアルメニア人」
アルメニア人のグルジア人に対する「変な競争心」は見ていて本当に不思議だ。
アルメニア人にグルジア人の事を聞くと不思議な位に悪く言う。
この「悪く言う」が、いわゆる小学生の罵り合いのレベルで聞いていると面白い。
はて?どうして国境を接したグルジアに対してこうもライバル心を剥き出しにして
噛み付くのだろうか?CISでこのような例は勿論有る。ロシアとウクライナだ。
アブハジアも含め、グルジア領にはかなりの数のアルメニア人が住んでいる。
元々、トビリシはグルジア人よりもアルメニア人の方が沢山住んでいた街だったらしい。
現在でも、黒海沿岸には多数のアルメニア人が住んでいる。
知っている限りにおいて、グルジアやアゼルバイジャンで生まれたアルメニア人は
アルメニア語が喋れない、又は喋れるけれども書けない人が多い。
新聞記者のマーラはバクーで生まれたので、アルメニア語が全く喋れない。
勿論、書く事も出来ない。記事は全てロシア語で書いている。
コレがアルメニアで生まれて、アルメニア語を日常語とするアルメニア人にとっては
腹が立つらしい。「アルメニア人のクセにアルメニア語が喋れないなんて、、、」
しかし、アルメニアで生まれたにも関わらずアルメニア語の読み書きが
マトモに出来ない人にも沢山会った事がある。役所でさえも書けない人が居た。
アルメニアに住んでいた日本人の友人にその事を聞いてみると、
「アルメニア語も、英語も、ロシア語もその他の語学も中途半端にしか
喋れないし書けないアルメニア人は山ほど居る」のだそうだ。
流石に「アルメニア語で授業する学校」を出た人はソコソコ読み書きは出来るらしい。
悲惨なのは「ロシア語で授業する学校」を出た人だ。アルメニアにはそういう人が沢山居る。
グルジアやアゼルバイジャンに生まれてしまったアルメニア人は、自動的に
「ロシア語で授業する学校」に行くのだそうだ。コレはある意味、当然の選択だったのだろう。
ソヴィエト時代は、ロシア語で教育する事が最高のプレステージであった。
ロシア語が喋れなければ出世の道は絶たれたも同然。ソヴィエト各国の親は
別にロシア人じゃなくても「ロシア語学校」に通わそうとしたらしい。
ソヴィエトが誇った科学、医学、文学は当然ロシア語によってなされるものだから。
世界に跨り離散する民族「アルメニア人」の中には当然アルメニア語が喋れない人も居る。
喋れない人が居ても別に良いではないか。喋れなくてもアルメニア人なのだから。
しかし、アルメニア以外のソ連圏で生まれたアルメニア人の方がヨーロッパや北、南米や中東で
生まれたアルメニア人よりもアルメニア語を喋れない人が多いようにも感じる。
勿論、ソ連圏で喋られているアルメニア語とヨーロッパで喋られているアルメニア語は
幾らか違う。ヨーロッパの空港で時々「西方表現のアルメニア語」に出くわす事はあった。
国境を越えた向こう側(グルジア)にはアルメニア人同朋が沢山住んでいる。
にも関わらず、グルジアやグルジア人の事に話が及ぶとアルメニア人は
「ピーマン頭(脳味噌空っぽの意味)」だの何だのと悪態をつく。
勿論、歴史的な怨念があるのでトルコ人の事を良く言うアルメニア人も少ない。
コレは理解出来る。しかし、若い人の中には「歩み寄るべきだ。」と言う人も居る。
同じアルタイ語を喋り、民族的にも似通ったアゼルバイジャン人に対しては
どちらかというと戦争状態に今でもあるからか、あまり語ろうとはしない。
そのトルコにしても、アルメニア人は沢山住んでいるのだ。
アルメニア人街があり、アルメニア正教の教会も有るらしいと聞いた。
歴史上、文化的にアルメニア人とトルコ人は共有して来たモノが沢山有る。
時々テレビでトルコ人が映し出されると驚くほどアルメニア人に顔立ちが似ている。
家の作りも似ているし、宗教に関して「正教かイスラムか」の違いだけで
国境を接している国々が極端に違うとは思えない。
ジェノサイドの時、子供だけは生かされてそのままトルコ人の名前を授けられて
トルコ人として生活しているアルメニア人も沢山居ると聞く。
彼らは、自分の出自が実はアルメニア人なのにそれを知らないで
普通にトルコでトルコ人として生活しているらしい。
そんな同胞もいるのだから歩み寄りは必要だと感じる。
年配のエンジニアの友達にポーランド生まれのアルメニア人、「ラブリックさん」という人が居る。
僕は同年代のアルメニア人男性の友達は数える程しか居ない。殆どが年配の方だ。
穏やかな物腰で喋り、トルコについて聞いても熱くなる事無く
「積年の民族的怨念を振り払って、ギリシャですらトルコと対話の機会を持とうと
しているのだからアルメニアも共存の道を探さなくてはならない」と言っていた。
アゼルバイジャンに関しても、
「為政者のエゴで両国の若者が多数死んでいった。本当にくだらない戦争だった」と。
隣接する国同士は影響し合っていたのだから、戦争をするのは愚かだと語っていた。
僕は、そんな冷静なラブリックの事が好きだ。彼は常に冷静だ。
、、、ところが、そんなラブリックでさえもグルジア人の話に及ぶと
「あのヤロー!このヤロー!バカヤロー!」と口を尖らせて罵り出す。
実は、ラブリックのようなアルメニア人には数え切れないほど会った。
恐らく、アルメニア人がケチョンケチョンにグルジア人の事を言っているのだから
グルジア人はグルジア人でアルメニア人の事を
「あのペテン野郎ッ!嘘吐き野郎ッ!毛むくじゃら野郎ッ(?)!」等と言ってるかもしれない。
ラブリック曰く、「スターリン等という救いようの無い大馬鹿をソヴィエトの権力の
トップに置いたからソヴィエト連邦は骨の髄までダメになったのだ」と言う。
スターリンは半分ユダヤ人だ。その説の真相は藪の中だけれども。
恐らく、グルジア人はグルジア人で「ミコヤン等という嘘吐き商人を20年以上にも渡って
ソヴィエト政権にのさばらせていたからソヴィエトはダメになったんだ!」
と、言ってるかもしれない。僕はCIS人ではないのでその辺は分からない。
外国人にはこの「近親憎悪」としか思えない、グルジア人とアルメニア人の関係を
理解するのが難しい。映画「ミミノ」でもそんな一端を垣間見る事が出来る。
何故、アルメニア人とグルジア人はこうも低レベルないがみ合いをするのか?
その理由が知りたくなって、ソヴィエトやCIS各国の歴史、文化に関して
いつも質問している国立ブリュッソフ大学の某教授に訊ねてみた。
彼はいつも分かりやすい例を持ち出して丁寧に説明してくれる。その彼曰く、
「自分の妻がどんなにブスだと分かっていても、
その事を似たようなブス妻を持つ奴から指摘されたら腹が立つものさ」と。
今回も、非常に明確で分かりやすい回答を頂いた。
しかし、外見に関してはアルメニア人とグルジア人はかなり違うが
そんなに文化的にも性格的にも両者は異なるものなのだろうか?
その事をどうしても知りたかった。知る為の手立ては無いだろうか?
と考えてみた所、「グルジアに住む日本人に聞いてみよう!」という考えに辿り着いた。
イェレヴァンにグルジア人は居ない。大使館員くらいだと思う。会った事は一度も無かったし、
イェレヴァンにグルジア人が住んでいるという話も聞いたことが無い。
しかし、トビリシには今でもアルメニア人が沢山住んでいる。実際、会いまくりだ。
アルメニア人に限らず、トビリシはカフカス人が見本市の如く沢山住んでいる。
そんなトビリシに住んでいる人ならば、各民族の特徴が良く分かるハズ。
よって、まず今日は「トビリシに住む日本人探し」から始まった。
コレは前もって準備していた。インターネットでグルジアの大学に有る
日本語学科や日本語学校等の電話番号を調べておいた。
早速、ゲストハウスみたいホテル(←しつこいな、俺も)から電話を掛けてみた。
ワシ:「あ、スミマセン。ソチラに日本人は居ますでしょうか?(←我ながら変な質問だ)」
女性:「ハイハイ居ますよ。ところでアナタは誰?」
ワシ:「あ、私は日本人です。(←我ながら変な答え方だ)」
女性:「あらまぁー!日本の方でしたか!私は日本語の教師です。」
ワシ:「これは、これは。あの、その彼と会う事は出来ますでしょうか?」
女性:「今日、彼は居ません。明日、日本語学科でちょっとした催しを行います。
是非、私共の大学にお越し下さい。彼も日本語の教師です。」
ワシ:「え?行ってもいいんですか?(オォ!意外とグルジア人って良い人だな!)」
その後、大学の所在地を教えて貰う。聞いても分からないからタクシーで行くしかないのだが。
ワシ:「その日本人はロシア語を喋るのでしょうか?」
女性:「、、、彼はグルジア語を喋りますよ、普段は」
グルジア語を喋る日本人って、、、どんな人だろう?
ワシ:「彼はコチラは長いのでしょうか?」
女性:「そうですねぇ、だいぶ長いですね。」
ウーム、一発目の電話でヒットしたのは嬉しいッ!
しかし、グルジア語を喋りトビリシに長く住む日本人ってどんな人だ?
(翌日会うこの人こそが「やぶ蚊さん」だった。)
何やら、カフカスという辺鄙な土地で日本人に会えると知ったら嬉しくなった。
きっと、相手は相手で僕の事を「アルメニアに住む変わり者」と思うんだろうなぁ。
そして、朝御飯を食べた。思いのほかマトモな料理が出て来た。
何やら料理を作っている女性がカフカス人らしくない。
食事の最後の方にロシアのお菓子「アラジ」が出て来た。
コレで確信した。この女性はロシア人だ。
その事を聞いてみると案の定、「えぇ、私はトビリシで生まれたロシア人です。」
と、言っていた。助かった!トビリシの町の事をイロイロと聞いてみよう。
美味しいグルジア料理のレストランや食料品のマーケット、民芸品売り場の事等を
詳細に聞いた。どの番号のマシュートゥカに乗るかまで親切に教えてくれた。
荷物を持って、少し曇り空のトビリシの街に繰り出した。
よく見れば建物はかなりガタがきているが、それでも美しい彩りの
トビリシ中心街の町並みは見ていて楽しかった。
しかし、通行人の話し声を聞いていると不思議な位に「アルメニア語」に出くわす。
顔立ちで何となく判別がつくのだが、実際にトビリシに居ながらアルメニア語を聞くと
何やら妙な感じがする。
お店に入って、グルジア特産で世界的に有名な天然の炭酸水「ボルジョミ」を買おうとして
列を待っていたら、「インチ アルジ?」と言ってるアルメニア人に出くわした。
どうしてグルジアでアルメニア語が通じてしまうのだろうか?
それとも、お店の店員さんはアルメニア人だったのだろうか?
因みに「インチ アルジ?」は、アルメニア語で「幾ら?」の意味。
正しくは「インチ アルジェ?」なのだが、アルメニア人は「インチ アルジ?」と言う。
この街にも沢山住んでいるんだなぁ、アルメニア人ってば。
さて、ホテルを探し歩いたのだが何処も満室で予約が出来なかった。
しかも、物凄く高いッ!アルメニアなら30ドルのホテルがココでは80ドルくらいする。
ホテルの数に関してはアルメニアの方が多いし、目的と利用法で
選択肢に幾らか幅が有るという点ではイェレヴァンの方がマシだと感じた。
仕方なく、外国資本らしいトビリシ最高級のホテル「マリオット」を予約した。
体調が良ければ駅の仮眠室でも眠れるのだが、今回は咳が止まらなかったので無理は出来ない。
テキパキとした、従業員に連れられて部屋に荷物を置いた。
ハンサムなグルジア人ポーターが日本語を習っていたらしく、日本語で話し掛けてきた。
ポーター:「平仮名とカタカナは読めます。日本語学校で勉強しました。」
ワシ:「何故、僕が日本人だと分かったんですか?」
ポーター:「アナタが手に持っている本、それに日本語が書かれていたからです。」
ウーム、グルジア人結構いい人達じゃないかッ!気の利く事も言えるし。
流石、「外資」はちゃんとしている。マックでの接客も素晴らしいの一言に尽きる。
その、笑顔のポーターさんにもグルジア料理のレストランについて聞いた。
どうやら、近くにあるらしい。レストランの名前は「ニコラ」という。
地下に下りていくレストランだと聞いた。早速、行ってみる事に。
そのレストラン「ニコラ」を散々探した。近くのハズなのに見付けられない。
てっきり「レストラン・ニコラ」とか書いてあるものだとばかり思っていた。
結局、ホテル・マリオットの道路を挟んで斜め向かいの地下で見付けた。
旅行者にも分かりやすいように大き目の看板でも出しておいてくれればなぁ。
しかし、、、思いの外、立派なレストランだった。清潔で静かでくつろげる。
見るからに外国人という風情の自分が来てしまったからか、ウェイトレスさんは
少し困惑気味だった。が、ロシア語が喋れると分かったら急に笑顔になった。
やっぱりロシア語が喋れるとCISでの旅行はとってもお得!苦労した甲斐も有るというものだ。
コミュニケーションで行き違うことを最小限に防げる。
とはいえ、何語で喋ってもアルメニア人とのコミュニケーションは
行き違うので困るのだが、、、
可愛らしいウェイトレスさんに料理とワインの説明をしてもらった。
昨日、「キンズマラウリ」を買ったのでレストランでは「フバンチカラ」を頼む事に。
わざわざ、店にあるワインの種類の全てを見せてくれた。

グルジアが誇る美味しいワイン
そして食事。
まず、グルジアに来たら絶対に「ハルチョ」というスープと「ヒンカリ」は外せない。
とぉーころがなんとォ!グルジア料理の店なのに「ヒンカリ」を置いていないと言う。
うそぉーんッ!何でヒンカリが無いのさ?そんなグルジアレストランがあっていいワケ?
なんか損した気分だったが、無いものは仕方が無い。
グルジアにはサラダから肉料理までオリジナルの料理が沢山あると言う。
そこで、ウェイトレスさんに言われるままにサラダやら何やらを適当に注文した。
まだ日にちはあるから、本場グルジアのヒンカリを食べる機会はあるだろう。
さて、肝心の赤ワイン・フバンチカラが早速出て来た。

フバンチカラとボルジョミ
おおおぉぉぉッ!美味しい!甘過ぎず、辛過ぎず。なんとも微妙な味わい。素晴らしいッ!
等と書いたが、僕はワインの事は全然分からない。単純に飲んで美味しければそれでOK!
田崎真也が飲んだら何て感想を漏らすかは分からないが、自分には最高のワインだ。
グルジアは「ワイン発祥の地」らしくて、その歴史は5000年にもなるらしい。
しかし、ただ単に歴史が深いからと言って必ず美味しいワケではない。
ホラ、日本にだって「名物に美味いものは無い」と言うし。
だけれども、このワインには体調が悪くて咳が止まらないにも関わらず、
遥々イェレヴァンから車に揺られてグルジアまで来ただけの価値があった。
喜びもひとしおだ。グルジア、来た甲斐あったゼ!今度は体調が良い時に来たいと思う。
グルジアワインを褒めちぎってしまったが、それにはワケがある。
アルメニアのワインがとんでもなく甘過ぎて自分にはどうしても合わなかったからだ。
幾ら何でもあそこまで甘いと頭痛がしてくる。翌日も気持ち悪くなって胸焼けを起こす。
幾らか「ARENI種」の中には飲めるモノもあったが、いかんせん甘過ぎる。
僕でさえヒーヒー言ってるのだから、田崎真也が飲んだら気絶するかもしれない。
なので、僕は寒い日や体調が悪い時、寝付けない時にのみアルメニアのワインを
鍋でグツグツと煮込んでソコに砂糖を加えて飲んでいた。
アルメニアはワインはダメだが、シャンパンはなかなか美味しいと思う。
有名なウクライナ産、モルドヴァ産のシャンパンにも引けをとらない。
勿論、10年以上のコニャックは香りが良くて飽きがこない。コチラは世界的に有名。
しかし、アルメニアのワインはどうも僕にはダメだった。
誕生日会やパーティーに呼ばれると、ヴォトカばかり飲んでいたのはそのせいだ。
やはり、その土地その土地で食事からお茶の味に至るまで味覚は異なるのだろう。
僕が飲めない「激甘アルメニアワイン」を好きだと言うアルメニア人も沢山居る。
日本人にはグルジアのワインは合うのではないかと思う。後に残らず気持ち良く酔える。
ウェイトレスさんも、僕がフバンチカラを気に入って褒めちぎっていたら喜んでくれた。
自分の国の料理や特産物を誉められたら誰でも嬉しくなる。僕だってそうだ。
結婚してフランスのマルセイユに行ってしまったアルメニアの女性がメールをくれた。そこには
「フランスに来て初めて寿司を食べたのよ。もぅぅぅ、美味しいの何のって!!!
こんなに美味しいものは初めて食べた。毎日でも食べたいくらい。チョット高いケドね。
日本人はいいわねぇ、、、毎日お寿司を食べれて。私も日本に住みたいッ!」
と書いてくれていた。天にも昇る嬉しさだ。但し、少し勘違いしているようだったが。
そうこうしている内にサラダが出て来た。これまた見た目が鮮やかで美味しそう!

ザクロの実が散りばめられたグルジアのサラダ
ウーム、料理に関してはアルメニアとグルジアはかなり違うようだ。
率直に言って、「料理」に関して言えばグルジアに軍配が上がるだろう。
アルメニアの料理は、基本的に「ひたすら焼く!」か「ひたすら煮込む!」のどれかだ。
美味しい料理も幾つかあるのだが、基本的にコレステロール値が強烈に高いので
立て続けに食べていると飽きてくる。「気合い」で食べる料理が本当に多い。
そして、正直に言うと「コレは絶対にアルメニアのオリジナル料理」というものが無い。
「トルマ」に関しても起源がどうも怪しいし、アルメニアの「ホロバツ(シャシリクの事)」も
アレが料理と呼べるのかどうかは微妙だ。肉を焼いているだけだから、何処にでもありそうだし。
唯一、「キュフタ」がアルメニア料理かもしれないが、もしかしたらトルコやギリシャ、
バルカン辺りにも似たような料理が名前は違えどあるような気がする。
僕が寒い冬の日にマーシャル・バグラミアン通りでよく食べる「ハーシ」も
コーカサスでは広く食されているようだ。グルジアでは一年中食べると聞いた。
アルメニアでは「ハーシ」は冬にしか作られない。確かに、暑い夏の日に食える代物ではないが、、、
アルメニア人が「アルメニア料理」だと信じて疑わない料理の殆どは
この辺一帯のカフカス、中東、トルコ、バルカンで広く食べられている。
従って、その料理の起源について言えば「この辺りのもの」という事になる。
しかし、グルジアのサラダは見た目も美しく食欲が湧いてくる。実際、美味しかった。
美味しい食事とワインがあり、素晴らしい食文化を育んできたグルジアを大いに褒め称えた。
ラバシ(薄っぺらいパン)に包まれた「キャバブ」が出て来た。
面白いのは、この「キャバブ」の中にもザクロの赤い実が散りばめられている事だ。
「ザクロ」は何故か昔からアルメニアの国民的果物(?)という事になっているらしい。
ヴェルニサーシでは、ザクロの形をした焼き物やアクセサリー、ピアス等が売られている。
アルメニア人のパラジャーノフの「ざくろの色」は有名な映画。
しかし、グルジアでも広く食されている果物なのかもしれない。
料理にアレコレと見た目にも味覚にも「仕掛け」がされているのが日本人としては嬉しい。
グルジア、良い国だな。これからきっと観光客が増えるゾ!今の所、CISで一番だ。
、、、等と住んでいるワケでもないのに、無責任な事を書いてしまった。
そして、どうしても食べてみたかった「ハルチョ」が遂に出て来た。

量はショボイが、最高に美味しかった。
アルメニアで「ハルチョ」らしきものを食べた事があったが比較にならないッ!
ウーム、「ハルチョ」を食べた途端に幸せな気持ちになれた。美味しいィィィ!
そういえば長い事、美味しい食べ物とは無縁の生活を送っていたからなぁ。
本物のハルチョは、胡桃をふんだんに使った香ばしい匂いがする。
味はカレーほど辛くはないけれど、表現のしようが無いほど美味しい。
(当たり前か、生まれて初めて食べたんだから。しかし、表現のしようの無い味だ。)
翌日から、アルメニアに帰るまで来る日も来る日も「ハルチョ」を食べた。
他にも、名前は忘れたがナスを使った料理等も出て来た。コレはまぁまぁだった。
トビリシに観光で訪れる機会のある人は、グルジア料理を食べてみて欲しい。
ソ連圏の国にも料理の美味しい国がある事を確認して貰えると思う。
そんなこんなで、夢見心地でレストランを後にした。美味しい料理は人を幸せにする。
少なくともアルメニアで「雑食動物」よろしく、貧しい食生活を送っていた自分には
「至福のひと時」だった。
酒も食事も美味いし、ネーチャンはキレーだし。グルジアってとっても良い国ッ!
が、実際住んだら大変なのだろうと思う。しょっちゅう停電するとか何とかで。
ホテル探しに時間を取られて、気が付いたら日が暮れていた。
時間の経過の仕方はアルメニアと同じだ。雑事で時間を物凄く取られる。
なので、今日は何処かに行く事を諦めて親しいアルメニア人に頼まれた「お使い」を
しに行くことにした。マシュートゥカに乗って駅の方に行く。
マシュートゥカに乗って分かったのだが、グルジア人の運転もアルメニア人のソレに
負けないくらい、かなりメチャクチャだ。
運転手はしょっちゅう脇見をして、真後ろに座った可愛いグルジア人の女の子をナンパしている。
走行中にしょっちゅう後ろを向くのでその度に冷や冷やとした。女の子はウンザリしている。
中央分離帯に平気で乗り上げるし、車と車の間をスレスレですり抜けていく。
コレでよく事故を起こさないものだと素直に感心した。
で、駅に到着。

駅の名前は忘れた。しかし、なかなか立派な駅でした。
その駅の上のほうを見やると、ココもやはり難民に占拠されているらしい。
明らかに人が住んでいる様子だった。まぁ、アルメニアでもこんな風景は見れる。
共和国広場の裏手にあるホテル・エレブニがそう。本当は2つのホテルに分かれていた。
しかし、1つはナゴルノカラバフから来た難民に占拠されている。
カラバフ難民だけが住む町に行った事もある。コーカサスは依然として混沌しているのだ。
さて、頼まれたのはアルメニアでは売っていない血圧降下剤「アリフォン」、その他。
いつも親切にして貰っているカリネおばさんと、ウドゥムルク人のローザおばさんには
「もし胡桃がイェレヴァンよりも安いのであれば、買ってきて欲しい」と頼まれていた。
はいはい、買ってきまっせー。
アルメニア人に「アルメニアは陸路しかないから物価がグルジアよりも高い。
しかし、グルジアは黒海からの物流があるし、トルコとの貿易が盛んらしいから
衣服の類がもし安いようであれば買って来て欲しい」と頼まれていた。
そんなに違うものかなぁ、と思いながら早速マーケットの中に入って行く。
キレイなアーケードだった。イェレヴァンにはこんなのは無い。ビックリした。
アチコチ、歩き回って服の値段を聞いてみたが、それほどイェレヴァンと比べて
安いとは感じなかった。勿論、ギリギリと値引き交渉はしたけれども。
コッチの人もアルメニア人同様、中国製の服を「コレはトルコ製だ!」と言う。
タグに中国語が書かれているにも関わらず、「トルコ製だ!」と言って譲らない。
この図太い神経が無いと、コーカサスでは商売なんてしていけないのだ。
結局、さほど欲しいと思うような服は見当たらなかった。
皮のコートが欲しかったのだがグルジアもアルメニア同様、「黒」しか売っていない。
流石にグルジア人女性はそうでもないが、グルジア人男性はアルメニア人同様
「黒い服」や「黒いコート・ジャンバー」を着ている人が圧倒的に多い。
なので、結局買わなかった。売ってるものは幾らかイェレヴァンよりも種類は多い。
マーケットをそんな感じで見ながらフラフラと歩いていたら、可愛いグルジア人の子供が
「ママーッ!」と言って目の前を通り過ぎて行った。
確かに「ママ」と言っていたのだが、その先にはおよそ「ママ」とは思えないような
逞しいヒゲをたくわえたデッカイ「ママ」が居た。何ですとォ?コレが「ママ」ですとォ?
声を聞いても、物腰も「パパ」としか思えない。、、、この方、もしかして?
ホテルに帰って、昨日買ったグルジア語の文法書をパラパラとめくっている時に知ったのだが、
グルジア語では「パパ」の事を「ママ」と言うらしい。
あぁーッ!ややこしい、、、
つまり、お父さんの事をグルジア語では「ママ」というのだそうだ。
因みにお母さんの事を「デダ」と言うらしい。ホンマかいな?
なので、グルジア人の「ママ」を見ても、観光者はビックリしないように。
駅の近くには薬屋さんが沢山並んでいた。買わなければならない薬は一応全部買う事が出来た。
最後に果物を売っている所を見て回った。
イェレヴァンとどっちが安いか頭の中でソロバンを弾いてみた所、
果物、野菜、木の実等に関してはトビリシの方が安いという事が分かった。
早速、日頃お世話になっている人達の為に胡桃を購入。
しかし、売り子のグルジア人のオバチャンがなかなかの「曲者」だった。
オバチャン:「はい、これで3キロだよ。」
ワシ:「(嘘つけ!)秤を何で隠すんだい?はい、もう1回計り直して!」
オバチャンは幾らか胡桃を入れ直してまた誤魔化そうとする。
知り合いのアルメニア人が「秤」の目方は一瞬、左右に振ると重い方に動くと教えてくれた事がある。
オバチャンは正にソレをやっていたので、3キロキッチリ寄越すまではタコ粘りしてやるつもりでいた。
しかし、話をしていても埒が明かない。オバチャンは「3キロだッ!」と言う。
仕方が無いので、「伝家の宝刀」を出す事にした。イェレヴァンで使っていた「秤」だ。
オバチャンの目の前で量ってみせた。やはり、3キロには全然足りない。
自分で胡桃をザクザクと袋に入れて、キッチリ3キロになった所でお金を払った。
ウム、完全勝利だね。オバチャンは「ヤラれた」という顔で、苦々しく僕の事を見ている。
なめて貰っては困る。こちとらイェレヴァンに住み、アルメニア人相手に生活しているのだ。
この程度でイチイチ誤魔化されていたらコーカサスには住めない。
オバチャンは観光客だと思ったようだが、相手が悪かったね。こんな日本人も居るのさ!
その後、ホテルで食べようと思ったチーズや果物を買った。
暗くなってきたので、ホテルに戻る事にする。
帰りのマシュートゥカの中でトビリシの美しい町並みを眺めていた。
所々、やはり停電している。しかし、グルジア人達は慣れてしまったのか
普通に振舞い、普通に生活している。

夜の大通り。
その国が豊かか貧しいかという判断は、生まれ育った環境に因るものだと思う。
僕は日本は物質的には大変に豊かだと思うが、時間的には貧しい国だと常々思ってきた。
コーカサスは経済的には殆ど破綻している。しかし、住んでいると考えさせられる。
果たして、ブランド物のバッグやブランド物の高価な洋服は日本人の自分にとって
絶対に必要なものなのだろうか?と。僕は、衣服には殆どお金をかけない。
アルメニアで普段着ている服も「ユニクロ」で買って来たものだ。
(小柄な自分にはサイズが合わなくて、イェレヴァンでは服を買えない!
というのも理由の一つ。特に、靴は絶望的に小さいサイズが売っていない。)
望まなければ、コーカサスでも最低限の生活がかなり安上がりに出来る。
「消費が美徳だ」だという、資本主義国の美徳は今でもこのコーカサスでは
通用しない。勿論、そういう生活を望んでいる人だってコーカサスには居るけれども。
コーカサスに住むようになってから、何かモノを買う時は必ず
「コレが今の自分には絶対に必要か?買ったら何年使うか?」を
考えるようになった。コレは良い事だと思う。
東京に暮らしていた時は、その辺は何も考えずにお金を使っていたような気がする。
さて、アルメニアに居る友達にメールをしたいと思ってインターネットカフェを探した。
ホテルの道路を隔てた向かいにインターネットカフェがある、と親切なポーターさんが
教えてくれた。ホテルのビジネスセンターはバカ高いので使う気はサラサラ無かった。
カフェの店員に冗談のつもりで、「日本語は入力出来ますか?」と聞いてみた所、
なんと「出来る」と言う。うそぉおーん!どうして?と逆に聞き返しそうになった。
ビックリした事に、本当に日本語が入力出来た。勿論、全てのPCではなかったが。
後で分かったのだが、「やぶ蚊さん」が日本語入力を出来るようにしたらしい。
そのお陰で、日本の家族や友達にもメールを書く事が出来た。
その後は何事も無くホテルに引き返し、よせば良いのにワインを開けて飲んでしまった。
キンズマラウリもフバンチカラに劣らず素晴らしいワインでした。
明日は早めに起きて大学に行かなくてはいけないのに、、、今日は結構飲んだな。
寝心地の良い静かなホテルで眠りについた。トビリシの2日目の夜。