「病気になったら?」


恐らく、外国で生活していて最も心細くなる時って「病気」になった時だと思います。
アルメニアに限って言えば日本並みに治安が良いし、まぁお金さえあれば食べるのにも
困らない(別の意味で困る事はあります。それはまた別の機会に書きます。)し、、、

日本から「こんな病気を患うかもしれない」と予め想定して何種類か薬を持ち込みました。
長期で滞在する場合は「抗生物質」を持ってきた方が良いかもしれません。
あと、僕は非常に「正露丸」を重宝しています。コレが無かったら大変だったかも?と思ったりもします。
でも正露丸は変な匂いがするし、国によっては空港でしつこく「コレは何だ?」と
聞かれるらしいです。ですが、アルメニアはノーマークです。本当に何でもアリです。

ロシアとかに荷物を送ると絶対に税関によって開けられて中身を調べられるのですが、
アルメニアに限っては中を開けられて見られた形跡すら無いです。

話が逸れましたが「風邪」「腹痛」等、様々な病気を想定していたのにも関わらず
全く予想外の病気に去年罹ってしまい、マジで死にそうになりました。
ただでさえ全てがメチャクチャな国に居て、尚且つ「重病」を罹ってしまった日には
本当に「死」がチラついてきます。(大袈裟だなぁ、、、でも当時は激ヤバだった)

まぁ今だからギャグに出来るので、いきさつを話しますと、、、

去年(2001年)の10月、急にお腹が痛くなりました。
まぁ、コレはアルメニアでよくある事なので、気にしませんでした。
正露丸を飲んで、ヴォトカをキューッと飲んでその日は寝ました。

が、翌日になると痛みが更にヒドくなり尚且つ5分おきにトイレに
行くようになってしまい「何かがおかしい」とは思いつつも、
正露丸ばかりひたすら飲んでいました。ついでにヴォトカも。

その時は「何か食べたものにアタったんだろう」くらいにしか思っていなくて
さほど気にしてはいなかったのですが、正直「コレは変だゾ?」とも思っていました。
明らかにいつもと様子が違います。体中の力が全く入りませんでした。

その翌日、なんか熱っぽいと思って体温を計ったら何と軽ーく「40度オーバーッ!」
しかも、腹痛は1箇所に留まらず下腹部の全組織がガツンガツンと痛み出すじゃあーりませんかッ!

「コレは風邪でもないし、間違い無く普通の腹痛や下痢でもない」とその時初めて悟り、
観念して下に住んでいるおばさんに頼んで病院に連れて行ってもらいました。

検便したり、熱を測ったり、アレしたり、コレしたりと病院中盥回しにされた挙句、
医者から言われた病名は「ジェジェンツェリーア」でした。
どうせ、英語やロシア語で病名を言われたとしても分からないと思って、医者に辞書を渡して
引いて貰ったのですが、、、「あぁ、あったあった!コレ、君の病気」と医者さん。

朦朧とする頭にムチを打って、その病名を見ると、、、
なんとアータッッッ!「赤痢」と書いてあるじゃないですかッ!!!
一瞬、ワケが分からなくなりました。見間違いか?とも思いました。

医者に「ウッソー!間違えてませんッ?本当に赤痢ですか?」と質問すると
「ウン、赤痢だね。もう間違い無しッ!」と一刀両断。

ワシ:「(まさかアルメニアで赤痢になるとはなぁ、、、)
    スミマセン、質問してもいいですか?日本じゃ赤痢は法定伝染病に指定されてるので
    赤痢になってしまった場合は問答無用で病院に隔離されるんですケド、
    やっぱりアルメニアでも隔離されるんですよねぇ?」

医者:「隔離?何で?どの薬を飲めばよいか書いてあげるから
    その薬を飲んで自宅療養してね。あと食べ物はじゃがいもとパンと
    バナナしか食べちゃダメだよ。油っこい食べ物は絶対にダメです。」

ワシ:「ハァー?自宅療養ですか?伝染病ですよッ!伝染病ッッッ!」

医者:「一体、アルメニアで年間何人の人が赤痢になってると思ってるのッ!
    イチイチ赤痢の患者を隔離していたら、病院が幾つあっても足りんのよッ。この国はッ!
    大体、赤痢如き病気で大の大人が死んだりするハズないでしょ。
    ハイハイ、行った行った!」

流石は旧ソヴィエト!言う事が違う。
コッチは必死なのにこの言い草は非常に説得力がある。
多分、「赤痢」なんて病気は旧ソヴィエトでは風邪と同等に
扱われる病気なのでしょう。しっかしなぁ、、、
病名を知らされた時は一瞬目の前が真っ暗になりました。

ワシ:「この薬って高いんですかぁ?今日はあまり持ち合わせが無いんですケド」

医者:「ウーン、確か30ドラム(!)だったと思うよ」

ワシ:「ハ、ハァ?30ドラム(日本円にして5円くらい)???
    そんな安い薬を飲んでて本当に赤痢が治るんですかぁ?
    なんか余計に悪くなりそうですケド、、、」

医者:「アルメニアにはコレしか赤痢の薬が無いからねぇ。」

ワシ:「、、、」

近くの薬局でその薬を買ったら本当に30ドラムでした。余計に鬱になってしまいました。
一瞬この時、走馬灯を見たような、、、見なかったような。
「あぁ、きっと俺はアルメニアで土に帰るんだ、シクシク、、、」と
心の中でさめざめと泣いていました。

ただ、自分の状況のあまりの滑稽さに何故かふきだしそうにもなったのですが、、、?

「おばあちゃんや両親より早く死んだりしたら、本当に親不孝だよな。
遺書とかも書く気力無いし、、、今更何食ってもなぁ、、食欲ゼロだし。
大好きなコーラまで飲むなと言われたしなぁ、、、
もう汗だくで気持ち悪いからシャワーを浴びたいなぁ、、、」

とにかくひたすらマイナス思考になっていきます。それはもぅ、留まる所を知りません。

よっぽど日本に帰ろうか、、、帰って治そうかとも思ったのですが、よく考えてみたら
「赤痢」だから日本になんて帰れないんですよね。
アルメニアから一歩も出れない事に気が付いて余計に鬱!鬱!になってしまったりして、、、

10日ほど、40度くらいの高熱と激しい腹痛、下痢が続いた後、
なんとか「小康状態(笑)」に落ち着きました。
まぁ、確かに「赤痢」くらいで今時の人間は死なないものですね。

それから1ヶ月くらい経って、医者で検査したら一応治っていました。
そこでその医者から恐ろしい話を聞いてしまい、後になって
「俺は赤痢程度の病気でラッキーだったッ!」と神に感謝したのでした!

医者:「アルメニアはホラ、しょっちゅう停電があるでしょう?
アレ、病院でも例外じゃなくて手術中でも停電するのよ。手術中でも!
んなモンだから、普通に手術すれば治るハズの人が不幸にも手術の最中の
停電によって命を落としたりするワケさ。手術の続行が不可能になってね。

え?ロシアンルーレットみたいだって?何ソレ?(説明すると分かってくれた)
ハァー、確かにそうだね。でも、今は減ってきているよ、そんな例は。
でも、ゼロではないからやっぱりそのロシアンルーレットだね!ハハハハハ!

今なんてまだ良い方だよ。最悪だったのが独立したての頃ね。特に92年と93年。
アノ頃はまだ原発が再開されていなくて、しかもアゼルバイジャンとの戦争で
国境を閉ざされてしまって全くアルメニアにはエネルギーも食べ物も無かったんだ。
当然、電気もね。1日に1時間しか使えなかった。
その1時間の電気も何時供給されるか分からない。気が付いたら電気が点いていた!
という感じだったよ。そんな状況で手術をしてたんだ。想像出来るかい?

当然、CISには最新の医療設備だの予備電力のバッテリーだのなんて無いからね。
聞いた話では蝋燭の明かりのみで手術した!なんて人も居るらしいよ。(!?)
特にカラバフ戦争の時の最前線で戦って来た負傷兵達への傷の手当てなんて
大体そんな感じだったらしい。まぁ、あれでもあの時の最善策だったんだと思う。

あの頃はとにかく死亡率が高かったなぁ。何の為の病院か分からなかったよ。
とにかく一番多いのが乳幼児の死亡。電気が全く無いのに加えて
政府がセントラル・ヒーティングを完璧にストップしてしまったからね。
寒さのあまり、死んでしまう乳幼児が多かったんだ。
乳幼児だけじゃなくて、子供はあの頃、結構ヤラれていたね。

如何にアルメニア政府、及びペトロシャンが無能無策か分かるってなもんだッ!

まぁ、アルメニアでは赤痢はそんなに珍しい病気ではないよ(コワッ!)。
また赤痢になったらおいでね。え?もうイヤだって?それはそうだッ!!!」

この時の自分の心境は非常に複雑でした。赤痢がラッキーだったなんて、、、
ポジティブに考えればそうかもしれないケド、なんか違うような気もするのですが、、、?

CISで病気になるととても!とっても、とーっても!!!心細くなります。
なので、健康に自信が有ってとてつもなく頑丈で精神的にタフな人にだけお勧めします。

アルメニアって、、、なんか面白いですね。当時は笑い事じゃなかったんですケド、、、
万事が万事こんな調子です。社会を観察してると結構笑える話が転がっています。

自分の不幸を「笑いネタ」にしてしまうなんて、ついにリャンチキも壊れてきたのでしょうか?